講演数推移(新)2006/08/17 06:57

出先で、他にやることはあったのだけれど、頭が回っていなかったので、先日引き落とした昔のプログラムpdfをもとに講演数推移を増強した。
少しばかりショックだったのは、L討の時代に、講演数が最大なのは、97年東京かと思っていたら、95年仙台の方が多かったこと。97年世話人としては、口惜しいところだ。
それはともかく、以前のデータより間が埋まって、見えてきたことが増えた。
  1. L晶討論会初期の企業発表率は10%台程度。全体の数が数十と多くはないので、結構ばらつきはでるのだけれど、まあ、最盛期の30%台に比べれば明らかに少ない。
  2. 企業の発表が増え出すのは80年代前半。これには、どうやら、K誘電性L晶を使った表示デバイスが関連している。また、NL晶がらみや合成関連も増加している。L晶が産業として拡大し、また、新方式で新しく参入する目が増えていることが利いているようだ。
  3. 95年レベルではK誘電はだいぶ下火なのだけれど、合成系を中心に数を稼いでいる。位相補償板などの発表もある
こうしてみると、90年代後半からの企業発表数の減少は、表示デバイスがらみで目新しいトピックスがなくなったためという気がする一方で、光配向やら、補償板では進歩は続いているはずで、他にも理由がありそうな気もする。
さて、カムバックサーモンならぬ、カムバックL討運動をするべきか、するとしたら、どのように身動くべきか。どうしたもんだろう。

コメント

_ ことねこ ― 2006/08/19 05:11

97年が95年よりも発表件数が少なくなった理由には、バブル経済崩壊の影響が徐々に出てきたという風には考えられないだろうか。日経平均株価の推移を見ていくとバブル崩壊が92年。その後低迷はするものの一定の水準を維持していた株価が96年にやや大きめに(バブル崩壊ほどではないが)下落している。97年に発表件数が減ったのはその影響ではないかしら。バブル崩壊直後に発表件数が激減しているかというとそうでもないから、一概には言えないけれど、太陽高度が最高なのが正午で、気温が最高になるのが午後2時だからそれと類似したことが起きたのかしら?
 その後の発表件数の動きは株価と動きが似ているような似ていないような。
 企業の研究への資本投下が、どのくらい発表件数に影響するか厳密にはわからないし、株価平均と企業の研究投資との関係も厳密にはわからないからもっといい指標が有ればいいのだけれど。
 米国留学していた2000年ごろには「ちょっと前までは日本企業から大量に研究員が派遣されてきていたのにバブルがはじけてからはどんどん減って今は少ないわねぇ」とはいわれましてね。そんなことからコメントを思いついた。
 とはいっても、世話人としては世間の逆風を乗り越えて発表件数を獲得したいところでしょうか。現在、株価は上がってきているので追い風であることを期待します。

_ 進行形 ― 2006/08/23 11:49

G像学会などでは、企業が製品の改良点を学会発表したりしています(製品名型番入りで)。液晶テレビの改良点を学会発表で...というのは無理なんでしょうかねえ。企業の宣伝になるようなことは好ましくないといった雰囲気が確かにあると思うのですが、液晶応用のハードウエア関連の発表が気軽にできるようになれば、Dフォーラムももう少し発表件数が増えのでは。

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